I don't think so !

じゃあ、お前はどう考えるのだ!

海王丸と富山湾の曇り空

24年も完成が遅れている核燃料の再処理工場は永遠に稼働しない!

7500億円を1年で使い切る工事計画は始めらからデタラメ

以前のブログで青森県六ケ所村で建設が進められている再処理工場について、来年上期の稼働予定はあり得ないだろうと指摘したが、案の定である。

「29日、青森市で開かれた会見で、日本原燃の工藤健二社長は・・・これまでに23回延期している工場の完成時期について、現在、目標としている来年度上期は厳しい、という見方を初めて示しました。再処理工場は、原発から出る使用済み核燃料を化学的に処理してプルトニウムウランを取り出し、再び燃料として使う「核燃料サイクル」の中核施設で当初、平成9年の完成を目指していましたが、相次ぐトラブルで着工から24年たった現在も本格稼働できない状態となっています。」(NHK NEWS WEB 2017年9月29日)。

今年の7月に建設費がいつの間にか7500億円増額されているのが発覚し、それでいて来年度上期の完成予定としているのだから、1年間で7500億円を使い切る工事とは一体何なのか、それはあり得ないだろう、とブログに書いたのだ。そんな素人の私でも分かるような当たり前のことが原子力村では通じないらしい。

日本原燃、電力会社、原発関連企業、長年原発を推進してきた自民党を中心とする原発推進族議員などで構成される「原子力村」が税金や電力料金を湯水のようにジャブジャブと引き出し、群がっている構図が再処理工場の建設に見て取ることができる気がする。何兆円を投じても、24年経っても完成しないのだから、そう言われても当然のことだ。一体全体、そのことに対して責任をとった人間はいるのだろうか。国民に対して説明責任を果たした政治家はいるのだろうか。

技術的にも地震大国日本で、1滴の放射能汚染水も漏らしてはならない巨大施設の建設など、そもそも不可能な話だ。だから日本の高度な建築技術と潤沢な資金をもってしても完成できないのだ。再処理工場や福島原発の工事は水漏れとの戦いの連続であることは、そのことを何よりも証明している。

小池新党の「2030年・原発ゼロ」方針と自民党の「安倍総理も将来的には原発に依存しない方針」の詭弁はまったく天と地の開きがある

小池都知事が華々しく打ち上げだ「原発ゼロ」政策。しかし希望の党の綱領から脱落し、雲行きが怪しくなってきた。それを昨日(10月1日)のNHK日曜討論で司会者に指摘されると若狭氏は原発ゼロの方針は堅持する旨を明確に述べた。それに対して自民党の塩谷選挙対策委員長は「自民党も同じで安倍総理も将来的には原発に依存しない方針」だと争点消しに躍起だった。依存はしないがベースロード電源だと詭弁を弄するつもりなのだろう。

自民党議員の多くがホームページなどではクリーンエネルギーの熱心な推進者のような姿勢を見せているがこれも同じ詭弁だ。クリーンエネルギーは推進するが原発はベースロード電源だと。

それと「原発ゼロ」方針はまったく次元の異なる話だ。2030年が2030年代であってもいいのだが、「原発ゼロ」が明確になれば再処理工場の建設に対するスタンスや放射性廃棄物の処理方法なども大きく変わるだろう。大間原発の建設工事は中止せざるを得なくなる。多額の費用を投じてさらなる安全対策を講ずるインセンティブがなくなり、再稼働を見直す電力会社も出て来るだろう。

それに対して自民党原発をベースロード電源と位置づける限り、ずるずると再処理工場の建設に多額の税金が投入され続け、大間原発の建設工事も紆余曲折を経ながらも進行するだろう。

小池新党代表が「原発ゼロ」を強力に発信し、それに引きずられて自民党もベースロード電源から原発ゼロに方針転換しれくれることを期待するだけだ。決して「将来的には原発に依存しない方針」という政権のウソや詭弁に騙されてはならない。

クリーンエネルギー推進で日本に活力を取り戻す

国家の衰退は政治エリートや経済エリートが既得権を守ろうとすることから始まるそうだ(「国家はなぜ衰退するのか」早川書房)。原発はまさにその典型だろう。小池都知事が「しがらみのない」ことを強調するのは、原発政策を念頭に置いているためではないか。民進党もしがらみのため、政党として反原発を掲げることができず、前原代表に解体されてしまった。自民党もしがらみでベースロード電源と位置づけた。もちろん自民党の場合は民進党と違って既得権を守ろうとする原発エリートが多数存在する。

そこを小池代表は突いたわけだ。

私が反原発の立場であるのは、

地震大国の日本では水漏れによる放射能汚染を避けることができない。

②政府の掲げる「核燃料サイクル」が問題を複雑にし、事態を悪化させている

③活力を失いつつある日本にチャレンジ精神の旋風を巻き起こすテーマになり得る。国民にはさらなる節電などの我慢を求めつつ、原発に投じられているヒト・モノ・カネの資源を一定割合、クリーンエネルギーにシフトすることにより、まさに国全体でチャレンジすべきテーマになるのだ。

原発関連のヒト・モノ・カネの資源を福島の復興と原発廃炉に集中する。廃炉ビジネスはロボット技術などを飛躍的に発展させる。アシモ君やペッパー君が現場監督をやり、犬型ロボットやヘビ型ロボットが走り回るようにしないと福島の廃炉は実現できないだろう。

昨年、経済産業省が福島の廃炉費用を20兆円と試算していることが判明した。当初の想定の倍とのことだ。しかし、再処理工場建設の経緯を見るまでもなく、政府や官僚の試算は批判を受けにくいように、ここでは反原発の機運を高めないように、低く都合よく出すのが常だ。予算が通ってしまえば、後は我が世の春で次々と追加予算を引き出し、当初の3倍以上に費用が膨れ上がってしまう。安倍総理が世界に7000億円でやると約束して招致した東京オリンピックが、いつの間にか3兆円以上(今は2兆円以上まで落としたらしいが・・・)に膨れ上がっているのと同じ構図だ。

燃料デブリの実態も取り出したデブリをどこで、どのように処理するのかも決まっていない段階での20兆円はまったくあてにならない数字だろうし、それを大きく上回ることも間違いないだろう。

ひょっとするとその実態の一端でも明らかになると政権はひっくり返るのかもしれない。政権どころか日本がひっくり返るのかもしれない。原発50基の建設と福島の事故は、取り返しのつかないことをやってしまった、あるいは起きてしまったことなのかもしれない。少なくとも東芝は取り返しのつかない原発戦略を採用してしまった。原発について知れば知るほど、その思いが強くなる。

そうならいことを願うしかないわけだが、小池代表が原発ゼロを堅持し、原発関連の情報公開を積極的に進めれば、万が一、小池総理が誕生しても、すべての問題の責任は歴代の政権や自民党にあり、自分にはないと主張できる、かもしれない。

 

 

 

 

 

北海道方面に飛んだ北朝鮮ミサイル、Jアラートは関東にも発令

「一匹のネズミで大山鳴動」

今朝、北朝鮮がまたもやミサイルを発射した。その影響で上野駅行き通勤電車が、安全確認を行ったため遅れていると車内放送があった。あれ?テレビでは北海道沖に落下したと言っていたけどなあ。

まあ、北朝鮮のミサイルは発射から数分で日本に到達するわけだから、今朝のJアラートも打ち上げの2分後に関東以北というアバウトな内容でしか発令できなかったのだろう。それがJアラートの限界だ。

しかし、正直言って悔しいではないか。北朝鮮の一発のミサイルで、今朝、テレビをつけた6時半から出勤するまでの1時間半、どのチャンネルもそのニュースばかりだったし、見たくもない菅官房長官の顔を何度も見せられ、北海道沖に飛んで行ったのに、東北や関東のJR全線が止まったのだ。

これじゃ「一匹のネズミで大山鳴動」だ。

サイルに対する避難訓練やJアラートにどれほどの意味があるのか

この間、テレビでミサイルに対する避難訓練を小学校などで行っている様子が報道されていたが、あれはどれほどの意味があるのだろうか。

危機意識を煽れば1600億円の米国製の武器「イージス・アショア」を購入しやすくなるのかもしれないが、国民の生命と財産を守るにはほど遠い避難訓練ではないか。

今朝、私の住んでいる地域ではサイレンはならなかったが(ウォーキングしていたので間違いない)、たとえ鳴ったとしてもウォーキングをやめて頭を抱えてしゃがみこんだりはしないだろう。おおよそ1時間のウォーキングコースだが、逃げ込めるような勝手に入れる頑丈なビルもない。あるのは住宅と公園とシャッターの下りている小さな店舗や事務所ぐらいだ。

Jアラートは台風や豪雨などの自然災害には役に立つかもしれないが(サイレンは聞こえないが)、少なくとも北朝鮮から発射されるミサイルに関しては無力だ。

戦争は、戦争の準備をするから起こる

米国はたとえピンポイントであってもドロンなどを使って金正恩を暗殺することはできない。やった途端、韓国の国民が大挙して米軍基地に押し寄せ、激しく抗議するだろうから、韓国政府は米軍を叩き出さざるをえなくなる。中国やロシアだって黙っていない。

それは、もちろん日本も同じだ。北朝鮮にミサイルどころか、銃弾一発でも打ち込もうものなら、韓国との関係は一触即発状態になる。

確かに金正恩に一矢報いたいし、ぶん殴ってやりたい。

しかし金正恩からすると目の前で韓国軍と米軍が圧倒的な火力による軍事訓練を行っているわけだから、将軍様としてはもちろん黙っているわけにはいかない。国民に対して「オレは強い将軍様なのだ」という威信なり面目を示す必要がある。それが将軍様の役割だ。それがミサイルの役割だ。

暗殺を恐れているとの報道が正しければ、将軍様は腰が引けた状態で「ハハハハッシャ~~」とやっていることになる。「どうだオレのミサイルはでかいぞ、たくましいぞ、ときどきすぐに爆発するけど・・・」。

おどおどしているワンちゃんにはとにかく手を出さない方がいい。頭をなでようなどと思わない方が身のためだ。犬を飼った経験のある人なら誰でも知っていることだ。うかつに手を出すと急に噛みついてくる。手を出して噛みつかれ、頭にきてワンちゃんを蹴飛ばすと、今度は飼い主と大喧嘩になる。それでも、おどおどしているワンちゃんの頭をなでたければ、まず、警戒心を解くことからはじめるのだ。警戒心の解き方はいろいろある。

それと同じだ。      

 

 

 

 

 

 

 

「国家はなぜ衰退するのか」(早川文庫)、日本は衰退しつつあるのか

それにしてもこの手の本は面白い。ジャレド・ダイヤモンドの「銃・病原菌・鉄」もそうだが歴史の背後の「なぜ」を膨大な世界史的事実から浮かび上がらせてくれる。その「なぜ」は今後の時代の流れを見通すための視野を与えてくれる。

なぜ、スペインはインカ帝国を簡単に蹂躙できたのか(ヨーロッパ人が持ち込んだ風土病=病原菌の力で免疫力のなかったインカの戦士たちは満足に戦えなかったのだ!)、それでも、なぜ、スペインは莫大な富を手にしながらも衰退し、イギリスが繁栄していったのか、なぜ、中南米は出遅れ、北米はすさまじい発展を遂げたのか、アフリカやイスラム諸国は、なぜ、後塵を拝してしまったのか、奴隷貿易黒死病はどの程度の規模だったのか、それが歴史にどのように大きなインパクトを与えたのか、等々・・・。

歴史の「なぜ」を地理的要因や気候的要因、文化的要因、あるいは民族的な要因に求める学説は数多くあり、私たちも漠然とそう考えたりする。赤道付近は暑いし、蚊も多そうだから人々は頑張らない、民族的に劣っているから新しい知識や技術を理解できない、日本人だから高度成長を実現できた、島国という地理的優位性があったから・・・といった考えを普通に持っている。

しかし、たとえば民族的に劣っているから繁栄できない、という考え方が根本的に間違っていることは、20世紀以降、人類学者や遺伝学者たちが証明してきた。ブラジルやインドネシアの奥地に住む原住民の赤ん坊をニューヨークに連れて行き教育すると、普通に英語を話し、数学ができ大学にも進学する。民族的な能力の差などないのだ。日本人だって普通に数学のできない人は多い。

「国家はなぜ衰退するのか」の著者のダロン・アセモグルとジェイムズ・ロビンソンも同じで著書の前半で地理的な要因、文化的、民族的な要因などを説明のつかないことが多すぎるとしてバッサリと切り捨てる。それでは衰退と繁栄の要因は何かというと、政治制度、経済制度だと主張する。包括的もしくは多元的な政治制度や経済制度を採用できた、もしくは採用せざるをえなかった国家は繁栄し、最初から収奪的な政治制度や経済制度を採用したり、途中からそのように変質していった国家は衰退する。

たとえばコロンブスがアメリカ大陸を発見した後、スペインはインカ帝国から莫大な金銀を手に入れたにもかかわらず、国王と一部の特権階級が富を独占する収奪的な制度を発展させてしまったために、あっという間に衰退していった。それに対してイギリスは1688年の名誉革命を境に多元的な政治制度や経済制度を発展させ、広く市民が一攫千金を狙えるようにすることで産業革命の大きな成功を実現し、米国の植民地を飛躍的に発展させた、というのだ。

かといってイギリス人がスペイン人よりも賢かったから、北米に多元的な政治制度を持ち込み大きく発展させたわけでもない。賢かったからではなく、そうせざるを得なかったのだ。当初、イギリス人もスペイン人と同じように略奪的な方法で富を得ようと思っていたらしい。ところが残念ながら北米は中南米のようなインカ帝国もなく、現地人が広い土地に散在していた後進地域だったのだ。帝国があり、人口が多ければ、スペイン人のように王を吊るし火あぶりにして住民を脅迫すれば簡単に金銀が手に入った。しかし北米ではそれができなかった。略奪する相手がおらず自分たちで開拓して稼ぐしかなかった。そのために、いわば仕方なく多元的な政治制度や経済制度を採用せざるを得なかった、というのだ。

やむなくそのような制度を採用するにせよ、創造的破壊の結果にせよ、成功した権力者や政治的エリートはひとたび既得権を手にすると、それを守ろうとして収奪的、独裁的な制度を強化しようとする。しかし米国のように独立してしまい、勝手に別の道を歩んでしまうケースもある。衰退するのか、さらに繁栄するのか、国家の岐路はさまざまだ。その辺りの様子も数多くの歴史的な事実を積上げ、随所に描かれている。いずれにせよ制度こそが発展や衰退の推進力なのだ。

「国家はなぜ衰退するのか」が面白いのは、この「制度」をキーワードに農耕革命の古代から現代までを縦横無尽に語っていることだ。

日本は衰退しつつあるのか

このような本は読み物として、ただ読んでいるだけでも面白いのだが、どうしても今の日本や世界のあり様について考えさせられる主張や表現にも、あちこちで遭遇する。イギリスの名誉革命では次のような一節がある。

「何らかの多元主義がなければ、多様な利害関係者のうち一人が、ほかの人々を犠牲にして権力を奪う危険性がある。1688年以降の議会がそうした幅広い連合を代表したという事実が決定的要因となり、議員でない人や選挙権を持たない人の請願にも議員が耳を傾けるようになった。これが、あるグループがほかのあらゆるグループを犠牲にして独占体制をつくることを妨げた決定的な要因だった」。

もちろんこれは英国資本主義の黎明期の話であって、その後の農民や子供、労働者たちを襲った悲惨な実態は「資本論」などに詳細に描かれている通りだ。

しかし少数派や少数意見も包み込む「包括的」あるいは「多元主義」というキーワードが世の中を発展させていくことだけは間違いなさそうだ。政治家がいろいろな人の声に耳を傾けなくなったときが、多元主義の終わりであり、収奪的で独裁的な政治制度の始まり、すなわち国家衰退の始まりなのだ。

アメリカファーストで米国大統領が誕生し、都民ファースト東京都知事が誕生する。ヨーロッパでも難民排斥を声高に主張した候補が大量得票し、英国はイギリスファーストなのかEUを離脱してしまった。それぞれの国で事情は異なるが、私にはどうしても格差社会の進展が多元主義否定の方向に作用しているように思えてならない。

「国家はなぜ衰退するのか」、次は著書の中で引用されている国家を衰退させていった専制君主や政治エリートの言葉である。

オーストリア・ハンガリー帝国皇帝の教師に対する演説

「硯学(せきがく:広く深い教養)は要らない。必要なのは善良で誠実な国民だ。諸君の(教師の)任務は若者をそのような国民に育てることだ。私に仕える者は、私が命じることを教えなければならない。それができない、もしくは新しい考えがあるという者は、職を辞すがよい。さもなければ私がその人間を追放しよう」。

19世紀オーストリア政府補佐の貧しい人々のための社会改革要求に対する回答

「われわれは大衆が豊かになって独立心を養うことを望んでいない・・・そうなったら、彼らを支配できないではないか」。

本の学校教育の在り方や格差社会の改革を本当に政治家は望んでいるのだろうか。実際に行われている政策は、残念ながら教育の一元化と格差の固定化、富の既得権者たちへの集中化の方向ではないだろうか。もし、そうであるのなら、「国家はなぜ衰退するのか」の主張が正しいのなら、日本は衰退に向かっていることになる。

確かに包括的であり多元的である、というのは難しい。いろいろな意見に耳を傾け理解しなければならないからだ。その上で自分とは異なる考え方の人がいることを認めなければならない。忍耐と努力と寛容さが必要なのだ。それに引き換え一元化の方向は簡単だ。排除なり排斥をすれば済むことだ。数の力と声の大きさで押し切ればいいことだ。右傾化とか「この道しかない」というのはまさに多元主義を否定する一元化の典型だろう。しかしサラリーマンの終焉を迎えつつあり、安易で楽な人生(余生)を望んでいる私だが、一元化という安易な方向だけは頑張って避けよう。       

 アボリジニ―の知恵

 仕事で20年以上前、社内のパソコン普及を推進し、普及し終わったと思ったら、リプレースとOSのバージョンアップの繰り返しだった。パソコンの性能は、2年単位で処理速度やメモリ、ハードディスクの容量が倍々ゲームの飛躍的な向上を遂げてきた。とても便利になったはずなのに、おかしな現象が生じてきた。会社の売上はそれほど増えないのに、年々、とにかく忙しくなる一方だったのだ。期初に年間目標を立てるのだが、最後の10年ぐらいは、今年は乗り切れるのだろうかと、常に不安に襲われていた。今年は絶対にダメだ、乗り切れないと思った年も何回かあった。いま振り返ってみれば結局のところ、なるようにしかならない、できることをやるしかないのだが、とにかく年々忙しくなっていったことだけは間違いない。

本の中で、そのような私をあざ笑うようなアボリジニーの行動が紹介されていた。

「大きな技術革新、つまり鉄の斧を使いはじめたとき、生産量が急増することはなく、睡眠時間が長くなったのだ」。

日本全体で見れば、恐らく売上や生産性はそれほど伸びず、正社員を非正規雇用に置き換えたり、非正規雇用を社員化することによって給与水準を落としたりして利益確保に努めているようだ。長時間残業やブラック企業など、労働時間を増やすことでしか生産性を上げることができない。

いま、アボリジニーの行動は貴重な教訓なのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

原発予算、5000億円から1兆円は誤差のうち?(改訂版)

先月、青森県六ケ所村で建設を進めている再処理工場の予算についてのニュースがマスコミを駆け巡った。たとえば、テレ朝ニュースは「電気料金に反映?再処理工場7500億円増正式公表せず」(2017/07/16)と報じた

news.tv-asahi.co.jp

この7500億円という数字は、使用済燃料再処理機構(青森市)が公表した「再処理等の事業費について」(2017年7月)に掲載されている。以下はその抜粋である。<再処理関係事業費>→<設備投資>→<新規制基準>に記載されている0.75が、その7500億円である。以下の資料をじっと眺めているといろいろなことを考えさせられる。

 <再処理関係事業費> (単位:兆円)
■設備投資
 初期施設 2.2
 新規制基準 0.75  新規制基準審査の進捗に伴い、見直し
 その他設備投資 1.6
■操業費等 7.4 
■廃止措置 1.6
小計 13.5
■経営効率化 ▲0.5
計 13.0
■返還廃棄物管理、廃棄物輸送・処分  0.9
合計 13.9

<MOX燃料加工事業費> (単位:兆円)

■設備投資
 初期施設 0.4
 その他設備投資 0.3
■操業費等  1.5
■廃止措置  0.1
合計 2.3

 <7500億円の追加費用を1年で使い切る無茶苦茶な計画>

まず、いつの間にか追加された7500億円という金額からしてデタラメとしか言いようのない計画である。再処理工場は青森県六ケ所村で過去20年以上にわたって建設を続け、未だ完成に至らない施設だが、完成予定は来年の上期だそうだ。

「現在、アクティブ試験(使用済燃料を用いた試験)を実施しており、2018年度上期のしゅん工に向けて、最終的な安全機能や機器設備の性能を確認しています。」(2017年9月時点の日本原燃ホームページ)

7500億円の追加を「使用済燃料再処理機構」が公表したのは2017年7月、それに対して再処理機構に事業提案を行った日本原燃は今もって1年後の完成予定を目指しているというのだ。

7500億円の追加投資を除外すると再処理関係の「設備投資」は上記資料によれば3.8兆円。これは20年以上かけて投じてきた金額だ。とすると7500億円もの金額を1年余りで使い切って施設を完成させるということになるが、そんな計画は始めから実現不可能ではないか。事実、再処理施設の予定通りの完成は無理だとする報道もあるが、極めて当然のことだろう。

日本原燃は7500億円に見合った内容で施設の完成予定を再度延期するのか、それとも別の用途なのか・・・いずれにせよ7500億円という巨額な資金は原子力村や原発政策の闇を照らすものとして、引き続き注目していく必要がある。

<ヒトをバカにした原発予算>

それにしても原発本体ではなく関連施設の予算にもかかわらず総事業費16.2兆円。改めて原発には巨額の資金が必要だということが分かる。しかも公表されたのは1兆円単位という何とも大雑把な予算である。追加予算の0.75を除くと、すべて小数点以下1桁単位、つまり1000億円単位となっている。

この手の予算数字は四捨五入しているかというと、公表資料には記載されていないが(それも問題)、往々にして切り上げということもある。予算獲得が目的だし、予算を超えてしまって後から文句を言われることを嫌って切り上げるのだ。
もし切り上げているとしたら1010億円であっても2000億円(資料上は0.2)と記載していることになり、1つの費用項目につき最大1000億円近い誤差を含めることができる。四捨五入しているとしても最大500億円の誤差だ。

再処理関係事業で「新規制基準」の費用7500億円を除くと6つ費用項目があり、MOX燃料加工事業関係で4つ、計10の1000億円単位の費用項目がある。とするとこの公表数字には最大で5000億円から1兆円の誤差を含めることが可能である。
しかもこの数字を公表した資料の中で、事業費の見直しや再算定を行った結果、再処理関係事業で210億円減額して総事業費13.9兆円、MOX燃料加工事業関係で50億円減額して2.3兆円にしたと自画自賛している。

なんと0.15%と0.2%の減額である。銀行から借りる住宅ローンの金利値下じゃあるまいし、少なくとも私の会社で業者さんに減額を依頼して、最大限努力して0.2%減額してきましたと自慢げに再見積もりを持って来たら、即刻、出入り禁止にするだろう。
それとも私の会社が大雑把であって、7500億円を公表しなかった再処理機構は緻密な予算管理を行っていると強弁するのだろうか。このような感覚の機構に予算管理を任せておいて、はたして大丈夫なのだろうか。それともこの感覚が私たちの税金を使う側の一般的な感覚なのだろうか。

210億円も50億円も再処理機構からすると誤差以下のゴミのレベルの金額であることは間違いない。しかしそのようにでも記載しないと、世間の目はうるさく、文句をつけられそうだから減額したと称しているのだろうが、あまりにも浅はかである。これこそ典型的なやぶ蛇だろう。

もし210億円や50億円の減額が正統な根拠に基づくものであると主張するのならば、予算数字を1000億円単位ではなく10億円単位で記載して公表するのが筋ではないか。そうしなければ本当に210億円や50億円を減額したのか、あるいは減額できたのかを誰も確認することができない。
それともこの誤差こそが原子力村の錬金術もしくは打ち出の小槌のカラクリなのかもしれない。この誤差の範囲に群がる企業や政治家、官僚は多そうだ。

<巨額資金の使い道は「核燃料サイクル」の実現>

予算の組み方や金銭感覚ばかりでなく、その使い道も問題が多い。
「再処理関係事業費」と「MOX燃料加工事業費」は政府が推進してきた「核燃料サイクル」の実現に必要な中心的な施設の建設費と稼働後の運用費である。上記資料の設備投資が初期の建設費であり、それ以外が運用費と考えていいだろう。

核燃料サイクル」とは原発で使用したウラン燃料を再利用する計画のことだ。日本の原発で使用しているウラン燃料は100%輸入に頼っており、しかもウラン鉱山や精錬工場は寡占市場になっている。つまり世界的に限られた数しかなく、ひとたびどこかで事故が発生すると輸入価格は原油なみに大きく変動する。事実、過去、大きく変動してきた。加えて中国やインドなどが原発建設を積極的に進めており、ウラン資源の争奪戦も予想されている。

しかし、輸入品をリサイクルするのであれば、携帯、スマホ、パソコン内のレアメタルと同じで、国内資源と考えることができる。だから政府も使用済みウラン燃料を明確に「国産のエネルギー資源」と位置づけ「核燃料サイクル」を国策として積極的に推進してきた。

<再処理工場は工事難航、完成予定が20年遅れても稼働せず>

政府が進める「核燃料サイクル」には二つのサイクルがある。既存の原発を中心に核燃料を循環させるサイクルと高速増殖炉を中心にしたサイクルである。
二つのサイクルに共通する施設が再処理工場である。
再処理工場は一度使用したウラン燃料から、

①燃焼して残ったウラン235 
核分裂で新たに生成されたプルトニウム239
核分裂で新たに生成された核分裂生成物質

を分離するための施設である。
ウラン235プルトニウム239はかき集めてリサイクル燃料として既存の原発高速増殖炉で使用し、核分裂生成物質は極めて有害な高レベル放射性廃棄物として処理する。

青森県六ケ所村で建設を進めている使用済みウラン燃料の再処理工場は、当初、1997年の完成予定、建設費7600億円ということで着手されたものだ。しかし、実際は完成予定が20回以上延期され、それにつれて予算も徐々に膨れ上がり、上記資料にあるように当初の完成予定から20年たった2017年7月時点で、再処理工場だけで2兆9500億円、その他設備で1兆6000億円というとてつもない金額になっている。アベノミクスのインフレ政策も、ここでは大成功を収めているようだ、ハイパーインフレの再処理工場建設費用だ。

再処理工場の工事が難航しているのは、高レベルの放射性物質を扱うことの難しさに加え、日本は地震大国でもあるため施設全体の耐震基準が他国に比べて厳しいためでもあるのだろう。
しかし3兆円投じて20年たっても完成できない施設は、そもそも今後も完成できない、と考えるべきではないか。

設備の中には、当然、5年や10年で交換しなければならないものもある。我が家の家電製品やガスコンロは壊れるまで使っているが、メーカは7~8年が交換時期だという。ガス給湯器は10年過ぎたので交換しろとうるさい。しかし原発施設では壊れるまで使われたら困るのだ。

再処理工場の事故で多いのが廃液や溶液、洗浄水など何らかの液体の漏えいである。

放射性物質を含む低レベル濃縮廃液」、「硝酸ウラナス溶液」、「放射性物質を含む洗浄水」、「作動油」、「高レベル放射性廃液」・・・いずれも再処理工場の建設過程で漏えいした液体である。

たとえ設備が壊れなくても、ネジが緩んだり、接合部が劣化して液体がポタポタと漏れただけでも工事は長期間にわたって中断し、修理に追われる。日本は震度3や4の弱い地震が頻繁にあり、巨大な設備全体がゆさゆさと揺さぶられるのだ。身体に感じなくても施設に振動を与える地震の発生回数は限りなく多い。だから液体の漏えい事故が頻発するのは当然だろう。

とすると試験運転中に設備が交換時期を迎える、液体漏えいなどのトラブルが発生し原因究明や修理をやっている間に別の設備が交換時期を迎える、この繰り返しになるのは容易に想像がつく。建設着手から20年以上経過しているということは、そういうことなのだろう。「核燃料サイクル」を回す前に設備の交換と修理の泥沼サイクルに陥っているのではないか。特に原発関連のトラブルは放射能汚染がつきまとうため原因究明と対処に時間がかかる。高速増殖炉もんじゅ」は冷却材漏れの修復に15年もかかったほどだ。
しかし「核燃料サイクル」は国策だから再処理工場が完成できないとは言えない。結果、巨額の資金を燃料にした幻想の「核燃料サイクル」が回り続けているのが実態ではないだろうか。それとも適当な時期にアリバイ工作的な試験運転をして「再処理工場稼働」と発表し、問題の先送りを続けるのだろうか。

誰が、いつ、そのサイクルすなわち悪循環を断ち切るのか、そのような問題として再処理工場の建設問題を捉えるべき時期ではないか。

<再処理施設が完成しても既存原発核燃料サイクルは回らない>

もし再処理施設が完成すれば核燃料サイクルは回るのだろうか。少なくとも既存の原発では回ったとしても1~2回が限度と言われている。ウラン燃料を使用すると核分裂の過程で、既存の原発の分裂効率を低下させる不純物が生成され、この不純物は分離できずに再処理しても残ってしまう。だから再利用可能は1~2回というのだ。1~2回の再利用で核燃料サイクルが回ったと胸を張って言えるのだろうか。

ウラン燃料の再利用は、使用して量が減ってしまったウラン235を再度濃縮してウラン燃料をつくる方法とウラン燃料を使用する過程で新たに発生するプルトニウム239を濃縮してプルトニウム燃料をつくる方法がある。いずれも既存の原発で利用可能だが、再処理工場や濃縮工場、高レベル放射線廃棄物の管理施設などが必要であり、施設の建設や維持に巨額の費用がかかる。しかも再処理するためには放射線量を減らす冷却期間と再利用できるだけの量を確保するための蓄積期間が必要なため、リサイクル燃料の製造コストは最初に輸入するウラン燃料の2~4倍もしくはそれ以上かかると言われている。それだけのコストをかけても1~2回しか再利用できないのであれば、既存原発核燃料サイクルは経済的には完全に破綻していると言えるだろう。

海外では、そんなにリサイクルコストが高いのであれば、再利用せずに埋めてしまおう、というのが主流になっている。

高速増殖炉核燃料サイクルは1兆円投じたものの「もんじゅ」の失敗で破綻>

既存原発核燃料サイクルがそのような状況だから、政府が推進する核燃料サイクルの本命は高速増殖炉サイクルなのだ。

プルトニウム239で製造するリサイクル燃料をMOX燃料というが、既存の原発では1~2回しか再利用できない。それに対して高速増殖炉サイクルは何回も再利用できるそうだ。
高速増殖炉プルトニウムの割合を高めたMOX燃料を使用するが、既存の原発より高温で反応させるため、原発の燃焼効率を下げる生成物も燃焼させてしまう。だから何回も再利用できる、というのだ。

しかも高速増殖炉は、「理論的」には燃料として使用したプルトニウムの量を上回るプルトニウムを新たに生成するとされる。たとえばガソリン1リットルを消費して自動車を10km走らせるとガソリンが1.2~1.5リットル抽出できる廃棄物を出すというのだ。そんなバカなと思われるかもしれないが、高速増殖炉の世界はそうらしい(※)。そのため高速増殖炉は夢の原子炉、魔法の原子炉、これが実現すれば日本のエネルギー問題は一挙に解決すると言われ、世界各国でも積極的に研究が進められてきた。

※「理論的」という言葉には注意が必要だし、ガソリンを1.2~1.5リットル抽出するのに、ガソリン2リットル以上のコスト(処理時間も含め)がかかるようでは問題だろうが、その辺りの事情については私の理解不足である。

日本における高速増殖炉サイクル推進の中心に位置づけられていたのが「もんじゅ」(福井県敦賀市)だった。しかし1995年に核分裂で発生する熱を伝えるナトリウム(既存の原発では水を使用)の漏えい事故を起こし、2010年、15年かけてようやく運転再開にこぎつけた途端、今度は燃料を交換するクレーン装置を原子炉容器内に落下させ、再度、運転が停止した。

原子力規制委員会が「もんじゅ」の実態調査に乗り出し、2013年に「もんじゅ」の運転準備中止命令、2015年に「もんじゅ」の運営主体である日本原子力研究開発機構に対して運転能力なしと政府に勧告、結局、政府も「もんじゅ」の高額な維持費用に対する批判もあって2016年に「もんじゅ廃炉の決定に追い込まれた。1兆円も投じて冷却材の漏洩とクレーン落下で廃炉とは、これこそ原発推進の最大のリスクだろう。

それにしても政府の関連機関から運転の準備もするな、運転の能力もないと断罪されるようなところが、日本の原発政策の一翼を担ってきたのだからとても怖い話だ。あまりにも無責任、無能力な組織だったのだろう。
政府が推し進めてきた核燃料サイクルだったが、既存原発のサイクルは経済的に破綻しているようだし、高速増殖炉サイクルはナトリウムの泡となって消えつつある。

<ロシアや中国が積極的に取り組む高速増殖炉サイクル>

一方で、高速増殖炉は欧米先進国はほぼ撤退しているものの、ロシアは昨年実用化させており、中国も国産とロシアからの輸入によるハイブリッド方式で数年後の実用化を目指している。高速増殖炉の持つ夢のような技術的可能性の大きさと、ロシアや中国には負けたくないという国家主義的な意識から、その推進を強く求める声も大きい。
しかし「もんじゅ」の失敗に関する適切な情報公開や納得の得られるきちんとした原因究明や反省、総括がなされない限り、単にロシアや中国には負けたくないという単純な意識で再スタートすると、これまで同様、国民から集めた税金や電気代を失敗のサイクルに放り込むだけだろう。

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福島原発事故では原発本体が巨大地震にやられたが、再処理工場のような関連施設ですら地震大国の日本では工事がままならない状態に追い込まれている。しかもそこに極めていい加減な形で巨額の税金や電気代が投入されている。

福島原発事故の処理費用も昨年末に11兆円から21兆円に見直されたが、その金額は過去の例を持ち出すまでもなく、どんどん膨らんでいくのは間違いない。溶け落ちた燃料デブリの取り出し方法も、取り出した燃料デブリをどこで、どのように処理するのかも決まっていないのだ。核心となる重要なことが決まっていない中で出された21兆円という金額は出す側にとって都合の良い数字に過ぎないのは当然のことだ。例によって批判を受けにくい低めの予算なのだ。これから華々しい追加予算のオンパレードを国民は見せられることになるだろう。

東京電力は国有化同然だし、原発政策の片棒を担いだ東芝はつぶれかかっている。東芝再生の道は、政府が投じる巨額な原発予算しかないのかもしれない。

それでも日本政府は、ベースロード電源として原発政策を維持し、原子力村の札束燃料サイクルを回し続けていくのだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

中国人が教える日本のメディアの問題点

今朝(2017年8月10日)の朝日新聞、読者の声欄に中国人の語学講師が寄稿していた。「物理五輪 高校生の偉業に光を」。7月インドネシアで開催された国際物理オリンピックで、金メダル2個、銀メダル3個を日本の高校生が取ったことに大きな拍手を送りたいし、もっと注目されていいニュースなのではないか、と指摘しているのだ。

日本のテレビでは目立った報道がなく、新聞の扱いも小さい。これが中国だったらテレビでトップニュースになるのではないか、とのこと。「物理・数学・化学などの学問は人類の発展に大いに貢献する分野だ。それに没頭する高校生は日本の将来を担う人材になるだろう」。まったくその通りだ。

高校野球が毎試合テレビで放送され、加えて全局、スポーツニュースや報道番組などで何回も事細かに取り上げているのに対して、同じ高校生が世界を相手に戦っている物理五輪をほとんどの日本のメディアは注目しない。この落差を中国人講師は素朴に疑問に感じたのだろう。不思議の国・ニッポン。

朝日新聞の読者の声の担当者も、当事者でありながら同じような疑問を感じたから中国人講師の声を取り上げたのだろうし、私はもっともっと大きな疑問を、ずっとずっと以前から感じていた。恐らく中国人講師だけでなく、身内の日本人からも同様の声は寄せられたのだろうが、あえて中国人講師の声を取り上げたのは、朝日新聞の自戒を込めた演出だったのかもしれない。演出とは中国人に(外から)言われて初めて気づくヘンな私たちニッポン人、という演出だ。

人間の能力は多様だ。走る、投げる、飛ぶ、蹴る能力、記憶力や理解力などの能力、絵画や彫刻などの表現力、楽器の演奏能力、歌唱能力、早食い、大食い能力など数え上げたらきりがない。

しかし残念なことに私たちの大半は凡人であり、だからこそ甲子園や国際陸上、スポーツ五輪、物理五輪、大食い競争などがニュースとなるのだ。確かに競技人口や興味人口あるいは投じられるお金などでニュースの取り上げられ方は偏ってしまうのかもしれない。しかしメディアには多様な能力が人にはあることを、しっかりと伝えてもらいたい。

単に芸能人が遊んだり、食べたり、騒いだり、頭の悪さをさらけ出したりする番組や金太郎飴のように同じ事件やスキャンダルを流す番組を、もっと削った方がいいのではないか。子供たちや若い世代が夢を持ったり、頑張る気になったりする番組をもっと増やした方がいいのではないか。それが大人の役割だ。

ここで物理五輪の内容を紹介しておくと、

「今回は日本代表5人のうち2人が金メダル、3人が銀メダルをそれぞれ獲得した。・・・今回は48回目で7月17日から23日までインドネシアで開催され、86の国と地域から395人が参加した。日本は2006年から参加し、毎年5人が参加している。2022年には日本で開催される予定。毎回理論と実験の問題に5時間ずつ挑戦し、成績上位者の約8%に金、次の約17%に銀、次の約25%に銅メダルが贈られる。」

出典:サイエンスポータルhttp://scienceportal.jst.go.jp/news/newsflash_review/newsflash/2017/07/20170725_01.html

物理五輪の問題は面白い、というか凄い。次のサイトに物理五輪の問題が掲載されている。解いてみようなどと無謀なことは考えずに、高校生たちが戦った世界の一端を知って欲しい。一応理系出身の私だが、気持ちのいいぐらい歯の立たない問題ばかりだ。というか、そもそも問題の日本語の意味が分からない。特に選択型のチャレンジ問題ではなく、理論問題や実験問題が面白い。

物理五輪問題:全国物理コンテスト 物理チャレンジ http://www.jpho.jp/

この際、ついでだから、消えた方がいいと、ずっと思っていた番組を並べてみよう。

①脅迫型医療番組

やたらと白衣の医者が登場する番組が多い。健康そのものが善で、病気にならないように歩け、運動しろ、指定したものを食べろ、それが人としての正しい生き方だという番組は、寝たきりになっても死ねない丈夫な身体づくりを目指しているだけだろう。寝たきり推進番組だ。長生きしてどうしろというのだ。

それと体調に異変があったら、恐ろしい病気かもしれないという脅迫型番組は、病院通いの勧めでしかない。医者の過労死推進番組だ。病院はますますジジババのサロンと化す。

②ニッポンのここが凄い的番組

凄いし、頑張っているのは番組に出演している人であって、日本人も外国人も関係ない。それをのほほんと横になって見ている私たちニッポン人はどこも凄くないのだ。凄くもないニッポン人が自分は凄いと勘違いすると「中国人」や「韓国人」のようなニッポン人になり、ヘイトスピーチをしたりする。私は日本人のように真面目で頑張っている何人もの中国人たちと仕事をしたことがあるし、頑張っている多くの東南アジアの人たちと接してきた。かなり前から大学の研究室は留学生がいないと成立しなくなっているし、大手企業の技術部門も同じだ。外国人を採用できない中小企業の技術部門にいたっては悲惨な状況にある。いずれもニッポン人の多くが頑張らないし、凄くないからだ。

③絶叫型下品コンテンツ

タレントがうるさいコンテンツ。番組だけでなくコマーシャルもだ。とにかくやたらと叫ぶ。食べ物を見ただけで、車に乗っただけで、人に会っただけでワー、キャー、ギャーと叫ぶ女子アナ、イケメン、イケメンと連呼するだけのアホな女性タレント、下品なだけのガサツな男性タレント、自分たちにしか理解できない長々、ダラダラの内輪話。最悪なのは早口のかん高い声でまくしたてること。年寄りには何を言っているのかまったく分からないのだ。若い人たちの視聴人口は減り続け、年寄りの視聴人口が増え続けているにもかかわらず、コンテンツ制作はどんどん若い人向けになっている。高い金をかけているのに、何を言っているのか分からないコマーシャル。何を言っているのか分からないので雑音でしかないのだが、繰り返し放送されるので気になって仕方ない。耳障りだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

サイトを立ち上げるぞ

ブログの次はサイトを立ち上げようと、現在、格闘中だ。

退職間近のオヤジの暇つぶしだからといって中途半端なサイトにはしたくない。というか暇なのだから中途半端であってはならない。

企画意図、サイトコンセプト、コンテンツ内容をとりあえず1、2時間かけて企画書らしく書き上げた。それをもとにトップページのデザイン案をホームページビルダーで作成したまでは良かったが、思いの外、内容が膨らんでしまった。公開まで恐らく3か月程度かかると読んでいる。

ホームページビルダーのテンプレートは使用せず、白紙から作成している。デザインは凝るつもりもないので、幾つかのスタイルシートを定義すれば足りるだろうと考えているからだ。テンプレートを使用して少しデザインを変更しようと試行錯誤すると、いつの間にかソースが膨れ上がってしまい何が何だか分からなくなる。テンプレートの使用作法があるのだろうが、やはり、そのまま使用するのが基本だろうし、私のようなひねくれ者には不向きだ。

ホームページビルダーの良いところは、価格が安い割にはウエブアートデザイナーなどのツール類が充実していることだ。先週もデザイナーを使って半日以上かけてイラストを描き上げた。グーグルの画像検索でも気に入ったデザインが見つからなかったので、その中の一つを参考に独自にデザインしたのだ。参考にする画像をデザイナー上にコピペし、画像の大きさを整える。あとはその上に適当な画像をペタペタと配置していけばいいのだ。立体、影、グラデーション、文字効果など素人デザイナーには十分な機能だ。デザインこそ、暇つぶしの最良の友である。

サイトは私がかねてより関心を抱いていた、ある社会的テーマについての「まとめサイト」だ。まとめサイトだから、いろいろなサイトを見ては、適当と思われる内容をチョイスして、出典を明示しながらページを作っていく。私の学習過程をサイト化しているともいえる。ボケ防止にはうってつけだ。

ネット上には膨大なサイトがあって、専門用語の羅列から、偏った内容、専門家の下手な文章、怪しげな内容、単純なパクリ、貧弱な内容、ウソやデマなどのオンパレードで、とにかく「帯に短し襷に長し」なのだ。だったら勉強を兼ねて自分で作ってみようと考えたのだ。

ということでブログは小休止して、しばらくサイトの立ち上げに専念することにした。

 

 

 

読書感想「閉じてゆく帝国と逆説の21世紀経済」(集英社新書・水野和夫著)

水野氏の本を読んだのは今回で3冊目である。「資本主義の終焉と歴史の危機」(集英社新書)、「株式会社の終焉」が私の読んだ前2冊。ちなみに私は「サラリーマンの終焉」を迎えている。

資本主義の興隆を歴史的に俯瞰し、イタリア→スペイン→オランダ→英国→米国と世界の中心的な役割を担ってきたヘゲモニー国家の遷移を捉え、資本主義が終焉するのだから株式会社も終焉し、さあ、これからどうなるのだ、どうするのだ、というのが今回の「閉じてゆく帝国」の著書だ。著書のタイトルだけからすると「資本主義の終焉」=「閉じてゆく帝国」のような印象になるのだが、帝国は資本主義以前からもあったわけだから、今回の著書のタイトルも「終焉後の21世紀経済」とでもしてくれれば、分かりやすかったかもしれない。 

それはさておき、水野氏の理論は単純明快だ。今回の著書でも要約を掲載してくれているので、水野氏の理論や主張をあらかじめ押さえておく必要はない(前作を読む必要はないと言っているわけではない)。

水野氏の理論のキーワードは利子率であり、利子率の意味を問うことが水野氏の主張の根底にある。日本の10年国債の利回りは1997年に2%を割り、2016年にはマイナス金利すら記録した。この超低金利状態が20年以上継続しているのは、人類史上初めての経験らしい。それまでの最長記録は16世紀のイタリアにさかのぼるというから、まさに日本は世界史的な未体験ゾーンをさまよっていることになる。

利子率は資本の利潤率と近似値であるから、超低金利状態とは資本主義がもやは投下する資本に見合った利潤を上げることができなくなったことを意味する。資本が資本の役割を果たせないということは、すなわち資本主義の終了である。それに連動して資本主義の発展を支えてきた株式会社も終了する。株式会社は利益を上げても、利益を資本として投資する先がなく、現在の日本企業のように内部留保として貯めこむだけの存在になる。そもそも利益は投資の結果なのだから、利益を上げることすらできなくなり、やがて配当期待の株主がいなくなり、株式会社は終焉を迎える、ということだ。少々不安を覚える主張だが、「サラリーマンの終焉」を迎えている私としては、「なんだ、オレと同じか」と考えれば、多少、気は休まる、というものだ。

次のキーワードは「蒐集」。収集と同じ意味だが、収集は戦後世代の漢字だ。人類は軍事力を駆使して鬼のような残虐さで土地や資源、人(奴隷)を蒐集、略奪して資本主義を発展させてきた。しかし資本主義はより効率的な蒐集、すなわち市場を通じた資本の蒐集に宗主替えした。

資本蒐集への宗主替えについて語られるキーワードが「実物投資空間」と「電子・金融空間」である。1970年代、米国で起きた構造変化が「電子・金融空間」への移行だ。ベトナム戦争の敗北で米国資本主義は「実物投資空間」での土地や資源の蒐集を放り出して「電子・金融空間」での資本の蒐集に宗主替えしたのだ。

しかしその宗主替えもグローバリゼーションの行き詰りにより終焉を迎えつつある。グローバリゼーションの行き詰まりは英国のブレグジットやトランプ大統領の誕生に見ることができる。結局は「実物投資空間」の現実空間も「電子・金融空間」の仮想空間もともに拡張の余地のない限界にきており、そのことを端的に証明しているのが、ゼロ金利ということだ。

これは近代西欧合理主義の「より速く、より遠く、より合理的に」というイデオロギーの終焉をも意味している。どのように終焉するのか。

まず、かつてのようなヘゲモニー国家はなくなる。だから、次は日本だ、中国だという話もない。世界はEU帝国、アメリカ金融・資本帝国、中華帝国ロシア帝国のように帝国の多極化状態になる。しかも各帝国はせいぜい周辺国を巻き込んだ程度の帝国にしかならず、アンチグローバリゼーションの内向き志向となるのだ。スターウォーズに登場するような全宇宙の支配を目論む強力な銀河帝国ではなく、かなりしょぼくれた地域帝国だ。著書のタイトルである「閉じてゆく帝国」とはそのことだ。「帝国」も水野氏が使用するキーワードで「海の帝国」「陸の帝国」(カール・シュミット)という言葉が頻繁に登場する。   

なるほどと思ったのは中華帝国だ。中国の「一帯一路」政策は中東地域やEU帝国、アフリカ大陸に激突して、あえなく沈没し、過剰な設備投資によってバブルも崩壊する。結果的に、新興国や先進国を巻き込んだ「世界的デフレが半永続的に進行する」という予測だ。ということは将来インフレになるかもしれない、アベノミクスもインフレを目指している、だから退職金が目減りしないように株式投資や外貨投資、投資信託などが必要だ、という銀行や証券会社の口車に乗る必要もなければ、「実物資産の金」のCMに思い悩む必要もない、ということだ。サラリーマンの終焉を迎えつつある私にとっては、一つ心配事が減った気分だ。

さて、水野氏はどのような21世紀経済を予測し、どのような処方箋を提示するのか。「ポスト近代システムは、一定の経済圏で自給体制をつくり、その外に富(資本)や財が出ていかないようにすることが必要」だとする。「閉じてゆく」とことが不可欠になる、というのだ。グローバリゼーションの問題が数多く指摘され、日本やドイツがゼロ金利になっていること自体が、その必要性を既に証明している。

東芝フォルクスワーゲンなど大手企業もさらなる成長を続けようとするなら、不正するしか方法は残っておらず、国家内で政権を維持しようとするなら、アベノミクスやトランプ的な成長路線の幻想やウソを振りまくしかない。ゼロ金利なのだから、所詮、成長やアメリカのグレートアゲインは無理な話なのだ。

「閉じてゆく」帝国で、若干、優位にたっているのは、外に出ていくしか能のない「海の帝国」である米国金融・資本帝国ではなく、EU帝国、中華帝国ロシア帝国の「閉じた陸の帝国」だと水野氏はみる。「閉じた経済圏」で市場経済の再構築が可能なのは「陸の帝国」だというのだ。もちろん米国がメキシコとの間に壁をつくらず、世界の警察官も放棄して沖縄の米軍基地を撤収し、北米大陸南米大陸とで地域帝国を目指すのであれば話は別だが、それは無理そうだな、とやはり思ってしまう。

そのような米国にこれまでと同じように、ただ追随するのは愚の骨頂であると水野氏は断じ、日本は日本なりの「地域帝国」のビジョンを描くことが重要だと説く。1980年代後半、ドイツはボロボロの東ドイツを抱え、「欧州の病人」とまで揶揄されながらも、かつて戦争をした国々、すなわちヨーロッパ諸国をまとめる方向に大きく舵を切り、何だかんだと言われ続けながらEU帝国の中心的地位を占めるに至っている。一方、日本はアジア通貨危機があったにもかかわらずチャンスを逸し、現在に至っている。国家戦略の違いだ。しかし日本は今後とも「地域帝国」のビジョンを描き続け、そのための準備をすべきだという。準備とは、

財政均衡

再生可能エネルギーへの転換

地方分権の推進

である。いずれも「閉じてゆく」ためには欠かせない準備だというのだ。確かに財政赤字の海外依存比率の増加は将来的な財の流出につながるだろうし、日本のエネルギーや食料政策は自給率を見るまでもなくグローバリゼーションを前提としている。地方を強化しなければ、東京だけでは「閉じてゆく」こともできない。

もしくは「EUに毎年加盟申請をする」ことを水野氏はまじめに提案する。日本は過去においてはチャンスを逸し、現在においては①~③とは真逆の方向に進んでいるようだ。地方分権を声高に叫んでいる人たちからは集権的強権的な匂いしか漂ってこないし、現実的には、四国での獣医学部新設を国家が主導してもめている程度だから、地方分権は何も進んでないように思える。自ら「閉じてゆく」ことができないのであれば、他力本願しかない。その場合はEU帝国に属し、メルケル首相に知恵を借りようというのだ。目からウロコの発想だ。これは凄い。

「資源争奪の戦争が起こる前に、各国が自国の生存にのみ興味を払う主権国家システム」を脱し、「閉じた帝国」を目指す。私個人としては世界は戦争資本主義(破壊それだけを目的とした資本主義)に突入するのではないかと思っているのだが、水野氏は世界的な規模での戦争を起こさないためにも「閉じよ」、やっかいな主権国家システムを放棄せよ、と言っているのかもしれない。

成長ではなく「閉じた定常状態」を目指すのが水野氏の処方箋なのだが、水野氏らしい地味な処方箋だ。私の老後の人生そのものだ。「外にお金が出ていかないように閉じて生きてゆく」だけだ。「よりゆっくりと、より身近な範囲で、より不器用に」生きてゆくだけだ。ウォシュレットのない海外には行かず、国内旅行で十分だ。

政治や経済の世界では特効薬もウルトラC技もないのは、考えてみれば、ごく当たり前のことだろう。当たり前のことだが、特効薬やウルトラC技を求めるのが主権国家の国民であり、その類の怪しいウソに乗るのも国民である。主権国家システムを捨てなければならないのも国民である。

難しい問題だ。