I don't think so !

じゃあ、お前はどう考えるのだ!

サラリーマンとしての基礎的能力は訓練によって身につけることができる/思考能力編③

<プラス・マイナス型思考法>

長所・短所型思考法と言っても良いが、物事にはだいたいにおいてプラスもあればマイナスもある、その両方に着目して考えなければならない、ということだ。ところが実際にはこれができない社員が多いし、これができないと大きな失敗に結びつくこともあるため、サラリーマンには必須の思考法なのである。

絶対的な正解がないという問題や課題は会社の中では意外と多い。というか大多数かもしれない。人事異動や組織変更を考えると分かりやすい。社員の異動や部署の分割あるいは統合を検討する場合、その決定は常によりましな方向になるだろうという期待のもとに行われる。4÷2=2のような正解がないのだ。だから実際にやってみて事態がより悪化するような人事異動や組織の再編は頻繁に起こる。

これができない社員が多いのは、目の前の問題に目が奪われ、その解決策としてマイナス面にのみ着目して、解決策を考えるためである。他人の書いた提案書、いま使用しているシステム、会社の組織など、すでにでき上がっているもの、いま目の前にあるものの欠点や問題点を指摘するのは、実は誰にでもできる簡単なことだ。その簡単なことを声を大にして言いまわるのが社内評論家だ。アホでもできる社内評論家。

実際にあった例だが、5系統の生産ラインの稼働データを5台のサーバで処理しているシステムがあった。ところがサーバのリプレース時に、処理するデータ量が少なく、CPU負荷も低かったために1台のサーバで処理するように変更してしまった。ところがこれが思わぬ事態を招いた。そのサーバに不具合が発生したとき、5系統の生産ライン全てが停止してしまったのである。

初期の生産ライン構築時に、生産現場は設計業者に対して「生産ライン停止の回避」を第一優先として要請していたため、5台のサーバによる冗長化構成となっていたのだ。しかもサーバ同士が相互に稼働監視し、不具合を検出すればリカバリーする仕組みも組み込まれていた。つまりどのサーバが故障しても5系統の生産ラインが停止しないよう2重、3重の安全策が組み込まれていたのだ。

そうした初期システムの設計思想を理解していなかったため、単にサーバの購入コストや台数が減ることによる管理コストが下がるという判断で1台のサーバに処理を集約してしまったのである。このとき、

生産現場の意見を聞く

②設計者に設計思想を聞く

③なぜ5台のサーバによる冗長化構成となっているのか理由を考える

④初期システムの仕様書を最後まで読む(仕様書の前半にデータ処理仕様、後半に冗長化構成やサーバ同士に相互監視システムの仕様が記載されており、前半だけを見てシステムの内容を理解したつもりになって、その部分のコピーを新しい開発業者に渡していた)

⑤2台のサーバによる冗長化構成にする

のいずれかをやっていれば防ぐことができたミスである。少なくとも⑤ぐらいは考えて欲しかったが、ミスやトラブルが発生するときは、このようにごく基本的なこと、ごく当たり前のことができていなかったケースが多い。新しい仕事に着手するとき、考えるべき要素が多くあるため、ポロポロと基本的なことや当たり前のことが脱落するのだ。

最近はコンピュータの処理性能が向上し、リアルタイム化が叫ばれる中、同様の実例を良く耳にする。たとえば1日に1回の処理を1分に1回の処理に変更したりするときなどは要注意である。1日に1回の処理の中で確立していたルールが、1分に1回の処理に変更したとき必ずしも保障されなくなるからである。1日1回と1分1回の処理とでは世界が異なる。世界が異なるとルールが異なる、ということだ。

さらには1日に1回の稼働確認で終わっていたことが、1時間に1回確認しなければならなくなり運用コストが上昇したりする。

物事には常にプラスがあればマイナスがある、マイナスがあればプラスがある。目の前のマイナスは、実はもっと大きな他のマイナスをカバーするために敢えて採用されている方法かもしれない。スクラップ・アンド・ビルドやリニューアルが成功するかどうかは、このプラス・マイナス思考法ができるかどうかにかかっているのかもしれない。

この思考方法の訓練は極めて簡単だ。誰でもできるマイナス面を、まず、書き出す。次にマイナス面以上の数のプラス面を書き出す。マイナス面以上の数のプラス面を書き出すことが重要だ。その上で、自らの判断を書き加え、回覧して意見をもらう、それだけだ。社内提案書などでも、なぜそのような選択をしたのかの判断根拠として、マイナス面、プラス面を記載することは、社内評論家を撃退するためにも有効である。

 

 

 

 

 

 

 

サラリーマンとしての基礎的能力は訓練によって身につけることができる/思考能力編②

<ドリルダウン思考法(深堀能力)>

ドリルダウン思考法は、トラブルなどの原因を深堀するためのものである。方法は良く言われる"WHY"を5回以上繰り返すこと。いろいろなテキストに書かれていることだ。たとえば次の通りである。

問題:不良品を顧客に納品してしまった

1.なぜ、不良品を納品してしまったのか→担当社員がアホだから

2.なぜ、担当者社員をアホというのか→納品するときに製品チェックを行わなかったから

3.なぜ、担当社員は製品チェックを行わなかったのか→製品チェックのためのチェックリストがなかったから

4.なぜ、製品チェックのチェックリストがなかったのか→製品チェックは当たり前のことで、各人が自主的にやっているから

5.なぜ、各人は自主的にやっているのか→製品チェックの統一的なルールがないから

6.なぜ、統一的なルールがなかいか→会社として決めていないから

という感じである。ここから「製品チェックの実行を会社の業務ルールとして確立し、統一的なフォーマットでチェックリストを作成して運用する」という対策が導かれる。これは有効な思考方法だ。

上記は実例である。アホな管理者は上記1の「担当社員がアホだから」という責任転嫁で済ませてしまう。"WHY"のドリルダウン思考を展開できないのだ。対策は「二度と同じミスを起こさないよう厳しく注意しました」ということになる。さらに、自ら顧客に出向いて謝り、この問題を円満に収束させましたと誇らしげに語ったりする。アホの上に”ド"がつく管理者だ。トラブルの原因究明もできなければ、当事者意識もない。大手企業であれば違うのかもしれないが、中小企業の場合、圧倒的にこのケース、このレベルの管理者が多いのではないか。

ミスやトラブルを繰り返す社員はだいだい決まっている。同じ社員が同じ仕事で同じようなミスを繰り返し、その管理者が同じように「厳しく注意しました」と社内会議で報告したときに、上記6までのやり取りをネチネチと行い、「統一フォーマットによるチェックリスト作成」を会議の席上で約束させたのだ。放っておくとアホな管理者は人事異動のとき、裏で画策して「アホな社員」を自部署から追い出し、他部署に押しつけようとする。厄介払いだけされたのでは会社としては大問題だ。大切なことは厄介払いすることではなく、組織や制度もしくは仕組みとしてミスやトラブルを起きにくくすることだ。

上記の場合、同じ仕事でミスが繰り返されたことに疑問を感じ、後日、それとなく他の部員に聞いてみたところ「ミスを繰り返しても仕方ないぐらい煩雑で短納期な仕事」と同情的だった。ということは「管理者がアホだから」あるいは「煩雑な仕事だから」を起点としたドリルダウンを展開すべきだったのかもしれない。現実の仕事で大切なことはいろいろな方向にドリルダウンすることだ。世の中、1方向のドリルダウンだけで真の原因がつかめるほど単純ではない。

なお、ドリルダウン思考法には以下のような注意点がある。

①枝分かれする要因は別途深堀する

深堀する方向ではなく並列的な方向の要因もある。たとえば上記1の「担当社員がアホ」のほかに「製造装置の老朽化」が挙げられれば、これは並列的な要因であるため、「製造装置の老朽化」を起点とした深堀が可能になる。要因が深堀方向か並列方向かの見極めが必要だ。

②自分たちが関与できない社外の方向に深堀しない

「担当社員がアホ」に対し「学校教育の質の低下」と社外の方向に深堀してしまうと対策を打てない。あくまでも当事者意識を発揮できる社内方向で深堀することが重要である。「景気が悪いから」とか「大雨で客数が減ったから」なども同じである。ただし、具体的な競合社の動向に深堀し、それに対応できない自社の問題に戻ってこれるような場合は別である。 

 (続く) 

サラリーマンとしての基礎的能力は訓練によって身につけることができる/思考能力編①

思考能力、考える力というのも、文章能力と同じで、サラリーマンに必要なレベルであれば、コツをつかみ、実践することによって身につけることができる。サラリーマンはサラリーマンがゆえにプロ棋士や哲学者、物理学者級の思考能力は必要ない。

経験上、だいだい次の5つの思考法で足りるような気がする。一見、多いように見えるが、慣れれば自然と思考できるようになるものばかりだ。いずれも簡単な訓練や作法の習得で身につけることができる。

①列挙能力―――要因の洗い出し能力

②ドリルダウン思考法―――問題の原因や本質に迫る究明力

③プラス・マイナス型思考法―――絶対的正解がないときの問題点の整理術

④松竹梅型思考法―――選択肢を用意する処世術

⑤抽象化能力―――教訓を引き出す思考術

<列挙能力(洗い出し能力)>

トラブルの原因を究明するにせよ、新しい装置やシステムの導入を検討するにせよ、そこには必ず3つ以上、考慮しなければならない要因や要素がある。この「3つ以上の法則」を素朴に信じること、それがスタートラインだ。

次にワープロを使って、自動の段落番号を付加して思いついた要因や要素を書き出す。思いついたことに対する判断はいったん保留して、3つ以上思いつくままに書き出すのがコツだ。自動の段落番号を付加していれば、後からマウス操作で簡単に行を入れ替え、整理し直すことができる。段落番号は自動的に振り直される。

もう20年以上前になるのだろうか。最初にこの機能をワープロで発見したときは、こんなに便利なものはないと感動したことを良く覚えている。考えなくてはならないことを思いつくままにパッパッパッと打ちこんで、サッサッサッとマウスで順番を入れ替える。あるときは優先順位の高いものから並べたり、あるときはグーピングしたり、とにかくパッパッパッのサッサッサッで整理できるのだ。以降、私の思考整理術として愛用してきた。

思いついたことに対して判断を保留するというのは、良くあるケースだが、頭の中だけで判断しながら考えていると堂々巡りに陥りやすい。ブレスト(ブレーンストーミング)の基本ルールの一つに、誰か言ったことを批判してはならない、というのがあるが、それと同じだ。批判や判断という行為が介在すると多くの人は堂々巡りの思考停止状態になりがちだ。いったん判断を保留するというやり方は、実のところとても有効な思考方法なのだ。

3つ以上列挙して、ワープロに書き出す、という訓練を続けると、自ずと列挙能力は身につくし、3つ以上が、常時、5つ以上になるとしめたものだ。これだけで「あいつはきちんと必要なことを考えている奴だ」と思われる。

一人ブレストでも構わないし、機会があれば部会や課会などで集団ブレストをやるとより効果的である。自分が思いつかなかったことがある、ということを知ることは、とても大切なことだ。「そうか、考えつかなかった」と率直に感心すればするほど、思考の幅は自ずと広がる。

以上、簡単なようだがこの列挙能力はとても重要だ。自分が思いついた、たった一つのことに固執する人間は意外と多い。それだけではないだろう、他の見方もあるだろうといくら指摘しても、本人はそれが絶対的に正しいと思い込んでいるから、もうどうしようもない。頭の固い奴だと片づけるしかなくなるのだ。

 

サラリーマンとしての基礎的能力は訓練によって身につけることができる/文章能力編

<基本作法>

サラリーマンに必要な基礎的な文章能力は比較的簡単に身につけることができる。企画書や提案書をきちんと書けなければ、基本的には出世できないだろうし、部下や業者さんを動かすこともできない。たとえ話下手であっても文章能力がしっかりしていれば、サラリーマンとしてはやっていける。

確かに、Lineやメールを頻繁に使っている割には、入社試験や昇進昇格時のレポート、業務マニュアル、提案書などを読むと小中学生並みの文章が多い。原稿用紙で10枚程度と指定してあっても、4~5枚書くのが青息吐息、よくぞ5枚も書いた、頑張った、という程度の文章能力しかない管理職も多い。

そういう私も文章がうまいかというとそうではない。しかし、小説や脚本を書くわけではないので基本的な作法さえ押さえておけば、サラリーマンとしては十分やっていける。文章を書くための基本的な作法は次の通りだ。

①文章は、極力、短くする。「説明を行う」は「説明する」で良い。

②一つの文章には一つのことしか書かない。

③受動態は、極力、使わない。

④段落が長くなったら、改行を入れるか、箇条書きにする。

以上の①~④を実践するだけも文章は格段に良くなる。受動態(受身形的表現)は使い方によっては、提案書であっても当事者意識の欠如した他人事のような印象を与えかねないので要注意だ。「改善されます」ではなく「改善します」にするということだ。自信のない社員ほど受動態表現が多くなりがちだ。加えて受動態表現が多い文章ほど読みづらくなる。「ボタンがマウスでクリックされるとリストが印刷されます」ではなく「ボタンをマウスでクリックするとリストを印刷します」にする。

箇条書きは文章全体の見通しもよくなり、要点が分かりやすい印象を読み手に与える極めて有効な文章作法だ。箇条書きは多用せよ、である。

引き続き私の経験則を幾つか列挙しておく。

⑤ビジネス文書では敬語や尊敬語は使わない。丁寧な文書に仕上げたかったら、「です」「ます」調で良い。

⑥同義反復は徹底的に排除する(同じことを表現を少し変えて書かない)。

⑦話の飛躍や省略は、極力、避け、丁寧に書き込む(自分とっての常識は、他人にとっては非常識、ということをわきまえる)。

⑧結果、枝葉やディテールが長くなったら、添付資料や巻末資料に追い込み、本文は骨太に仕上げる。添付資料や巻末資料は「お時間のあるときにご覧いただければ」で済ませる。誰も読まなくても、きちんと書いてあるという事実が大切なのだ。

⑨書きあがったら必ず読み返し、部員など第三者の目も通し、誤字脱字を修正しつつ、より分かりやすい表現にする。

⑩提出までに余裕があれば1日以上おいて、再度読み返し、修正して提出する。

最後の⑨⑩が意外とできない社員が多い。誤字脱字はもちろんない方が良いのだが、社内文書であれば、それなりに許容範囲はある。しかし度を越したり、日本語として成立していないおかしな表現の文章をそのまま提出したりすると、自分の書いたこともチェックできないのか、部下に書かせてそのまま提出しているのではないか、と思われるだけだ。

<基本構成>

文書全体の構成は起承転結が基本だろうが、これは少し分かりにくい気がする。ビジネス文書の場合は、実験レポートの構成を参考にすると良い。

1)実験の目的(この文書の目的は何なのか)

2)実験の方法(何をどのようにしたのか、するのか、したいのか)

3)実験の結果(やった結果はどうだったのか、どのような結果が期待できるのか)

4)考察(結論。だから何をなすべきか)

学生時代に実験レポートをさんざん書いてきた社員の文章は、基本、上記の流れになっており読みやすい。そうでないと目的の説明が不十分なまま、自分たちがやったことや、やりたいことから始まるレポートになったりする。「方法」と「結果」あるいは「結果」と「考察」が入れ子になったような構成だと、整理が悪く、読みにくい文章になりやすい。

<内容について>

文書全体の内容は、少し難しいかもしれないが、不必要なことは書かず、書くべきことのみ書く、ということだ。ビジネス文書は自分が知っていることを書くのではなく、相手に伝えるべきこと、伝えたいことを書くのだ。これが基本であるが、これを理解できない社員が極めて多い。

往々にして自分の知っていることを全部書こうとすると(多くの人は書きたがる)、知っていることはだいたいにおいて中途半端なため、支離滅裂な内容の文書になる。私の経験で言うと、このパターンで破綻/自滅する文書が最も多い。破綻/自滅するとは、突っ込みどころ満載の文書になり、実際に多くの突っ込みが入り、最後は書き直しを命じられたり、却下されたりする、ということだ。

自分はこんなことも、あんなことも知っていると思われたい気持ちは誰しも持っているのだが、その感情が露骨に透けて見える文書は要注意だ。なぜなら逆に書き手のレベルが見透かされる、ということになるからだ。感覚的にいうと10を知っていて、2を書くぐらいがちょうど良いのではないか。2しか知らないことを2書くな、ということだ。

私は突っ込まれるのも、面倒な説明も嫌だから、中途半端にしか知らないことや説明しても理解されにくいことは、話題にもならないよう、それなりに工夫してきたつもりだ。たとえば結論まで一気に突っ走るとか、突っ込みの入りそうなテーマを迂回する構成にするとか、分かりやすい部分の説明で全体像を理解できた気にさせるとか・・・これは経験を積むしかない。

そのため一度書いた文書を大幅にカットするのは当たり前にやってきた。最低でも、毎回、自分の書いた文書の2~3割はカットしてきた。2~3割カットするというのは有効な方法だ。間違いなく文書全体が引き締まる。

経営トップは基本的に細かいことは理解できないし、理解したいとも思わない。人は理解できないことを延々と説明されると怒り出すだけだ。年をとるほどその傾向は顕著になる。経営陣もしくは決裁者に対する提案書は目的や意義と費用対効果をしっかりと書き込み、あとは分かりやすい内容を放り込んで文書全体の体裁を整えるのが基本だ。

承認を得るためのテクニックとして、相手の知らない新しい専門用語を二つか三つ、分かりやすく解説してあげて、少し賢くなった気分を味わわせてあげる方法がある。これはかなり有効なテクニックだ。

<頭の中の整理が基本>

ときどき、極めて整理が悪く、何を言いたいのかまったく分からない文書に遭遇する。書いた社員と話すと、上記のテクニック以前に書き手の頭の中が整理できていないことが多い。書き手の頭の中の整理の悪さ、混乱ぶり、曖昧さなどが、そのままストレートに文書に反映しているのだ。何を聞いても「それもある」「あれもある」と肯定するばかりで、本人は何を主張したいのかがまったく見えない。

確かに会社の中のこととはいえ、割り切れないことも多いし、ブラスもあればマイナスもあることが大半だ。それを整理し、一つの方向性を示すのは、ある意味、確信犯的行為でもある。この視点を持って、自分の頭の中をきちんと整理することが大切だ。もちろん文書を書くことで頭の中が整理できることもある。

自分が整理できないことは、もちろん誰にも伝わらないし理解もされない。文書作成において最も基本的なことである。

 

 

 

いま、ここでできなければ、どこに行っても、いつになってもできない!

会社に40年もいれば、中小企業であっても何十人もの定年退職者や中途退職者の挨拶を聞くことになる。

定年退職者の話で多いのは、次なる目標である。「晴耕雨読の生活を送りたい、まずは、司馬遼太郎を読破したい」、「大学に行って勉強したい」、「英会話教室に通うつもりだ」、「楽器をやりたい」・・・・。

ももうすぐ定年退職者として挨拶をすることになるのだが、困ったなあ、である。そのような目標をもう持ちたくないのだ。売上目標、原価目標、納期などいろいろな目標に追われて40年もやってきたのだから、もう目標は勘弁してほしい。

本を読むでもなく、旅行をするでもなく、テレビを見るでもなく、料理に励むでもなく、女房に怒られながら気づいたら棺桶の中だった、という人生を送りたいのだが、これが後輩たちに対する挨拶として適切かどうかは疑問だ。きっと不適切だろうし、それについ先日まで、目標管理だ、スケジュール管理だとわめいて社員のけつを蹴飛ばしていたし、無責任な奴だとも思われたくないし。

さて、たとえば「晴耕雨読をの生活を送りたい」と語る人たちの大多数は目標を実現できない。もしくは三日坊主で終わる。事実、司馬遼太郎と語った先輩と数年後に飲んだとき、何気なく聞いてみたら、まず、司馬遼太郎と話したことを忘れていたし、やはり少し読んで終わったそうだ。

目標を実現できない理由は簡単だ。40年のサラリーマン人生の中でロクに本を読まなかった人は、退職してもやはり読まないし、年寄りになったぶん、ますます読めなくもなる。私に言わせれば、それほど司馬遼太郎に興味があるなら、サラリーマンの間に全巻読んでおけよ、である。ゴルフやカラオケに興じていても、「街道を行く」シリーズを含めたとしても2年もあれば十分に読めるだろう。その他の目標も同じで、実は目標ではなく、彼らが語るのは実現できそうだと勘違いした単なる期待や幻想でしかない。

若手の中途退職者も同じだ。彼ならどこに行っても大丈夫だろう、と思う人材は極めて少ない。会社に対する不平不満を口にし、理想的な管理職や職場、幸せの青い鳥、自分探しを求めて会社を離れる人たちの多くは苦労するだろう、と余計な心配をしてしまう。せいぜい「ボーナスをもらってからやめろよ、権利なのだから」とアドバイスするぐらいだった。

理想的な管理職や職場はどこにも存在しないし、幸せの青い鳥は飛んでいないし、本当の自分はどこにも転がっていない。すべてが自分自身の問題であるのに、外側に問題解決を求めるのは、まあ、やってもらって気づいてもらうしかない。ギリシャ時代の遺跡にも「すべての問題は汝自身のなかにある」と書かれているそうだ。恐らく大多数はなかなか気づかないのだ。もしくは気づいたときは、時すでに遅し、なのである。

自民党国会議員、安倍チルドレンの豊田真由子議員

「この、ハゲ~~~~!」

いやはや、今朝、テレビからこの絶叫が聞こえてきたときは驚いた。

自民党の豊田議員が車の中で運転している秘書に対して浴びせかけた罵声である。さらに驚いたのは運転中の秘書の頭を何回も殴っていたとのこと。

昨日だったか、このブログで「バカほど怒鳴る」と書いたが、私の仮説を物の見事に証明してくれている。

この人、実際は「バカ」ではない。東京大学卒業後、ハーバード大学で理学の修士号を取得、安倍チルドレンの2回生議員として当選し、いまやオリンピック・パラリンピック大臣政務官文部科学大臣政務官復興大臣政務官を務める、安倍チルドレンにしては珍しい国際感覚を備えた超優秀なエリート議員である。そのはずである。

しかし性格があまりにも悪過ぎる。東大に入って勘違いしたのか、政治家になって勘違いしたのか、それとも持って生まれた性格なのか分からないが、他人を露骨に見下す超バカである。今の時代、録音されているかもしれない、とすら思わなかった超バカである。一挙手一投足チェックされるのが政治家なのだ。

しかし、加計学園問題をはじめ、政治家の超勘違い的行動が目につく。政治家を選挙で選択するとは、我々が納めている数十兆円もの税金の使い方を決める人を選ぶことだ。その一点に尽きる。

ところが現実は超ビックリポンである。世襲議員たちが中心となって特権階級の仲良しクラブをつくり、入会条件が日本会議への所属と国家主義的なイデオロギーの信奉。この特権階級が税金に手を突っ込んで、分け合っているのが加計・森友学園問題だ。仲間内で大学をつくりた~い、といえば90億円の税金がポン、小学校をつくりた~いと幼稚園児に教育勅語を暗記させ、軍歌を歌わせれば8億円ポン。     

「李下に冠を正さず」と言われても、正してないと嘘をつき、証拠が出てくると冠を正してなぜ悪いと開き直り、ゲスの勘繰りだと恫喝する。税金をどう使おうと自分たちの勝手だ、という本音がミエミエの政治家としての最低限のマナーも矜持もない勘違い集団・・・。

あ~、俺の税金が・・・マユコちゃ~ん、頼むから返してくれ~~。

 

 

 

読書感想2 「なぜ日本企業は勝てなくなったのか: 個を活かす「分化」の組織論 」(新潮選書)

前回の読書感想の続きだ。アマゾンから本が届いたのでさっそく読んでみた。

残念ながら読む前に危惧した通りの内容だった。もともと「分化」の意味が気になっていたのだが、本の最初に定義があった。広辞苑の「均質のものが異質のものに分かれること。また、その結果」を著者が少し修正し「個人が組織や集団、あるいは他人から物理的、制度的、もしくは認識的に分けられること」が分化の意味だそうだ。

そうかなあ、少しの修正ではなく都合の良い修正の気がするし、そもそも著者の定義は何を言っているのか良く分からない。「未分化」であっても個人は他人から物理的にも認識的にも分かれているし、課長と部長がいれば制度的にも分かれているのではないか。私の頭が悪いのだろうか。

本の内容は、電通の「過労自殺」、東芝の不適切な会計処理、東洋ゴムの「免震ゴムデータの改ざん」(分からないではないがゴムデータはないと思う。検査データの改ざんだ)、三菱自動車の燃費試験不正、警察の不祥事等々と新聞の切り抜きのような内容が続く。さらに「集団無責任体制」、「たこつぼ」化(極端な組織の縦割り、もしくは閉鎖性の意味)、「ブラック企業」問題、共同体的組織、パワハラ、セクハラ、イジメ、「女性活躍推進」・・・・とよくある話が続き、すべての問題の原因が「未分化」にあるとされる。

だから「分化」すれば、大方の問題は解決する、日本企業も勝てるようになる。「分化」を仕掛けるには、外圧や異分子を投入する、物理的に分化する(机を離したり、向きを変えたりすることらしい)。あるいは縦の「分化」をフラットにする?分化もやり方を間違えるとダメなようだ。

いやはや、新聞や雑誌を切り抜き、もしくはネットの記事をコピペし、「分化」、「未分化」の言葉を放り込んで一丁上がり、という感じだ。言葉の使い方や切り抜きの引き写しも、かなり適当だ。評価するとすれば「切り抜き」的価値ぐらいだろう。

引用されている問題を一つひとつ丹念に追いかけ、それらの問題に潜む複雑な原因なり要因を紐解き、それぞれの現象の差異を明らかにすることが大切だと思う。世の中、そんなに単純ではないし、簡単に企業は生き残れない。

それとアマゾンの☆5とは何だろうか。食べログの評価と同じだと思えばいいのだろうか。ひとつ、学んだ気がする。

暇つぶしに始めたブログの最初に選んだ本としては、まあ、良かったかもしれない。