I don't think so !

じゃあ、お前はどう考えるのだ!

海王丸と富山湾の曇り空

いま、ここでできなければ、どこに行っても、いつになってもできない!

会社に40年もいれば、中小企業であっても何十人もの定年退職者や中途退職者の挨拶を聞くことになる。

定年退職者の話で多いのは、次なる目標である。「晴耕雨読の生活を送りたい、まずは、司馬遼太郎を読破したい」、「大学に行って勉強したい」、「英会話教室に通うつもりだ」、「楽器をやりたい」・・・・。

ももうすぐ定年退職者として挨拶をすることになるのだが、困ったなあ、である。そのような目標をもう持ちたくないのだ。売上目標、原価目標、納期などいろいろな目標に追われて40年もやってきたのだから、もう目標は勘弁してほしい。

本を読むでもなく、旅行をするでもなく、テレビを見るでもなく、料理に励むでもなく、女房に怒られながら気づいたら棺桶の中だった、という人生を送りたいのだが、これが後輩たちに対する挨拶として適切かどうかは疑問だ。きっと不適切だろうし、それについ先日まで、目標管理だ、スケジュール管理だとわめいて社員のけつを蹴飛ばしていたし、無責任な奴だとも思われたくないし。

さて、たとえば「晴耕雨読をの生活を送りたい」と語る人たちの大多数は目標を実現できない。もしくは三日坊主で終わる。事実、司馬遼太郎と語った先輩と数年後に飲んだとき、何気なく聞いてみたら、まず、司馬遼太郎と話したことを忘れていたし、やはり少し読んで終わったそうだ。

目標を実現できない理由は簡単だ。40年のサラリーマン人生の中でロクに本を読まなかった人は、退職してもやはり読まないし、年寄りになったぶん、ますます読めなくもなる。私に言わせれば、それほど司馬遼太郎に興味があるなら、サラリーマンの間に全巻読んでおけよ、である。ゴルフやカラオケに興じていても、「街道を行く」シリーズを含めたとしても2年もあれば十分に読めるだろう。その他の目標も同じで、実は目標ではなく、彼らが語るのは実現できそうだと勘違いした単なる期待や幻想でしかない。

若手の中途退職者も同じだ。彼ならどこに行っても大丈夫だろう、と思う人材は極めて少ない。会社に対する不平不満を口にし、理想的な管理職や職場、幸せの青い鳥、自分探しを求めて会社を離れる人たちの多くは苦労するだろう、と余計な心配をしてしまう。せいぜい「ボーナスをもらってからやめろよ、権利なのだから」とアドバイスするぐらいだった。

理想的な管理職や職場はどこにも存在しないし、幸せの青い鳥は飛んでいないし、本当の自分はどこにも転がっていない。すべてが自分自身の問題であるのに、外側に問題解決を求めるのは、まあ、やってもらって気づいてもらうしかない。ギリシャ時代の遺跡にも「すべての問題は汝自身のなかにある」と書かれているそうだ。恐らく大多数はなかなか気づかないのだ。もしくは気づいたときは、時すでに遅し、なのである。